ゆんラボ未来館での静かな読書時間を終え、せっかく読谷村まで足を延ばしたのだからと、以前から気になっていた座喜味城跡へと車を走らせた。
駐車場に車を停め、城跡へ向かう緑の道の途中で、「ユンタンザミュージアム」という施設がふと目に留まった。
何気ない好奇心から入ってみることに。










館内には、読谷村が辿ってきた深く豊かな歴史や、人々の息遣いが聞こえてきそうな暮らしの品々が展示されていた。
精巧な座喜味城跡の模型もあり、歴史のロマンに胸を躍らせていたのだが――歩みを進めるうち、空気が一変した。


「沖縄戦と戦後の読谷」
「読谷山の沖縄戦と村づくり」
ここ読谷村は、あの沖縄戦において、米軍が最初に上陸した地。
現在の渡具知ビーチの、穏やかな波の音と透き通るような青い海。
その息を呑むほど美しい海岸線からは、かつての惨劇など到底想像もつかない。
しかし、1945年4月1日。
この海は米軍艦船で黒く埋め尽くされ、無数の兵士たちが雪崩を打って押し寄せた。
展示された色褪せた写真や、生存者たちの絞り出すような生々しい証言が、胸に重く突き刺さった。

さらに奥へと進むと、「チビチリガマ再現」と書かれた暗い入口が口を開けていた。
ふと、先日観た映画「宝島」で描かれていたガマの情景が脳裏をよぎる。
光の届かない真っ暗な洞窟の中、逃げ場を失った住民たちは、どれほどの恐怖と絶望に震えていたのだろうか。
泣き叫ぶ子どもたちを抱きしめながら、極限状態の中で彼らが迫られた血の凍るような決断。
そこには、「戦争」というたった二文字では決して片付けることのできない、あまりにも無惨で重い現実が横たわっていた。
僕は、沖縄で生活をするようになってから、図書館に通い、自分なりに沖縄の歴史を学んできたつもりでいた。
しかし、それは活字の上だけの知識に過ぎなかった。
先日映画「宝島」を観て、自分の知らない沖縄の闇の深さに打ちのめされたばかりだというのに。
今日、実際に読谷村という土地に立ち、足の裏から伝わる大地の記憶を感じながら資料を読み、あの時代を必死に生きた人々の悲鳴や祈りに触れたことで、言葉を失うほどの衝撃を受けた。
還暦をとうに過ぎ、人生の酸いも甘いも知った気でいた。
しかし、知るべきこと、向き合うべき真実は、まだまだこの沖縄の地に――そして世界に。
60歳を過ぎても、学ぶべきことは、まだまだ山のようにあるな。

